四国巡礼地 一番霊山寺 二番極楽寺
徳島県寺院探訪
四国巡礼 一番札所
笠和山 霊山寺
宗派 高野山真言宗別格本山
拝観 境内自由
駐車場 無料
ランク ★(1.5)(5段階)
🔴四国巡礼1番霊山寺は、天平年間(729~49)に聖武天皇の勅願により行基が
開基したと伝わる。弘仁6年(815)空海が訪れ修行した。室町時代には、三好氏
の庇護を受けるも、天正10年(1582)長宗我部元親の侵攻にて焼失した。
その後江戸時代に入り、藩主・蜂須賀家光隆により再興された、出火などもあったが
現在に至ります。
霊山寺境内
●四国巡礼の出発点である霊山寺には、巡礼用品が揃い購入しているも多い。四国巡礼
は、諸説あるがはっきりしない。同行二人などの巡礼が始まったのは江戸時代に入って
からだと言う。それまでは、修行の場としてや、信仰の聖地だったという。
四国霊場2番札所
日照山 極楽寺
宗派 高野山真言宗
拝観 境内自由
駐車場 無料
ランク ★(1.4)
🔴2番札所の極楽寺も、霊山寺とほぼ同時期に建立されたという、弘仁6年(815)
に、空海が訪れ読経した折、難産だった難波の女性が無事出産した事から、安産祈願
徳島県お寺巡り 丈六寺
徳島県寺院探訪
瑞麟山 丈六寺
宗派 曹洞宗
拝観 300円 ※11/1~11/3 堂内・宝物館公開 500円
駐車場 無料
ランク ★★★(3.0)(5段階)
本堂(重文)寛永6年(1624)
🔴丈六寺は、白雉元年(650)に天真正覚尼が創建したと伝わります。
明応元年(1492)守護職であった細川成之が再建し禅宗寺院に改めました。
また江戸時代には、藩主・蜂須賀家が庇護をして今日に至ります。
丈六寺の徳雲院の渡り廊下の天井は、「血天井」が残ってます。血天井は、長宗我部
元親が、阿波の国を攻めた時、勇猛で知られる新開忠之に苦戦をし、好条件を提示し
和議を申し入れた。和議を受け入れた、新開らは丈六寺で酒宴に招かれた折に、
長宗我部は、だまし討ちをして新開忠之と家臣たちを虐殺した。残った血痕を
血天井として残しています。
三門(重文)室町時代末期
経蔵(重文)寛永21年(1644)
観音堂・普門閣(重文)永禄10年(1567)
「徳島県丈六寺を訪ねて】
徳島の中でも有数の文化財が残る丈六寺、静かな環境の中伽藍が並ぶ、特に観音堂の
丈六聖観音坐像(重文)平安時代は、無防備にも思える所で出迎えてくれる。
丈六寺の名の由来である。今は本尊ではないが存在感は秀逸です。血天井の逸話も
感慨深いもので、徳島県の多くの文化財が長宗我部軍により消滅している中丈六寺は
徳島を代表する寺院ですね。また宝物館には、絹本著色細川成之像(重文)他があり
11月の特別公開時には、本堂ほか公開されます。
兵庫県お寺巡り 淡路島 先山 千光寺
兵庫県寺院探訪
先山 千光寺
宗派 高野山真言宗別格本山
拝観 境内自由
駐車場 無料
ランク ★★(2.2)(5段階)
仁王門より眼下を望む
🔴先山千光寺は、延喜8年(901)藤原豊広が開基の寺という、猟師(藤原豊広)が
猪を追いかけ先山にたどり着き、そこで千手観音の導きで・・・の伝承が伝わる。
先山は、伊弉諾命・伊弉冉命の二柱の神が、国生みにて最初にできた霊山です。
境内には、本堂・三重塔・鐘楼などがあり、梵鐘は弘安6年(1238)の銘がのこり
重要文化財に指定されています。
千光寺本堂・狛犬ではなくイノシシです
三重塔・豪商高田屋嘉兵衛により、文化年間に修復
【千光寺を訪ねて】
千光寺は、霊山先山にある山岳寺院で、中腹まで車で登れます。それから長い階段を
登りやっと境内に着きます。しかしながら景色は最高です、また猫が住みついていて
人の姿もまばらです。
京都お寺巡り 妙満寺
京都寺院探訪
妙 満 寺
宗派 顕本法華宗 総本山
拝観 500円
駐車場 無料
ランク ★★(2.2)(5段階)
雪の庭
🔴妙満寺は、康応元年(1389)日什上人が開いた寺です。日什は、もと天台僧で
67歳で日蓮に師事した、名僧でありながら一切の書物を残さず、正しい教えを迷わ
ず誤解せずにいるようにと配慮した結果で、妙満寺の宗是です。
妙満寺は、その後火災や法難、移転を幾度と繰り返しようやく寺町二条に落ち着いた
が、しだいに都市化が進み喧騒と環境の悪化を懸念して「昭和の大遷堂」を挙行し
昭和43年に、岩倉の地に移り現在に至る。
写真の「雪の庭」は、松永貞徳が作庭した庭で「雪月花」
の庭の一つで、移転と同時に岩倉に復元したものです。
月の庭があります。
時の写真です。舞踊は、花柳美匠治郎さんです。
京都お寺巡り 本法寺
京都寺院探訪
叡昌山 本法寺
拝観 500円 ※特別拝観(長谷川等伯。釈迦涅槃図)1,000円 春と秋
駐車場 無料
ランク ★★(2.5)(5段階)
🔴本法寺は、日親上人が開いた日蓮宗の本山です。永享8年(1436)に建立され
寛正元年(1460)伽藍が完成した。しかし天文5年(1536)の法難により
都を追われ、天正15年(1587)の秀吉の聚楽第建設の都市整備で移転し
今日に至ります。本法寺と本阿弥光悦とは縁が深く、熱心な法華信者だった光悦親子
は、菩提寺として援助をしました。足跡として、「巴の庭」が今も残っています。
巴の庭は「日」「蓮」を表現しています。美術品も多く残り、「花唐草文螺鈿経箱」
(重文)他多くの作品が今も残ります。また長谷川等伯の晩年の大作である「佛涅槃
図」(重文)は、春と秋に特別公開されます。
境内には、仁王門・本堂・唐門・多宝塔・開山堂・経蔵・庫裏・書院などの伽藍と
寺宝(重文)19点 「巴の庭」国名勝があり塔頭3ヵ寺もあります。
巴の庭(国名勝)
【本法寺を訪ねて】
法華宗八本山の中では、一番見所の多いおすすめ寺院です。特に「佛涅槃図」長谷川等伯(晩年の作)は、二階からも見れるように工夫されており、見ごたえがあります。庭園は、少し宗教色の強い作品で、光悦の信仰深さを感じます。桜の頃は、特に境内が見頃です、写真がうまく撮れてませんが、穴場的スポットです。
京都お寺巡り 宝鏡寺(人形寺)
京都寺院探訪
西山 宝鏡寺(旧百々御所)(人形寺)
宗派 臨済宗・単立
拝観 春と秋の特定日(HP参照)600円
駐車場 なし ※近くの有料駐車場
ランク ★★(2.2)(5段階)
🔴尼門跡・宝鏡寺は、応安年間(1368~75)に景愛寺の光巌天皇皇女華林宮惠
厳禅尼の開基です。その後、景愛寺が応仁の乱で焼失しましたが宝鏡寺がその法灯を
受け継いでいます。寛永21年(1644)宝鏡寺は、紫衣を勅許され以後、歴代
皇女が住持を務めています。天明の大火で類焼しましたが、再建されて今に至ります
皇女和宮や日野富子とも関係が深く皇室ゆかりの寺で、百々御所とも呼ばれています
また、人形寺としても有名で、歴代天皇より季節ごとに贈られた人形を、春と秋に
公開しています。また人形供養のさきがけでもあります。
【宝鏡寺を訪ねて】
宝鏡寺は、別名人形寺として有名です。襖絵などもかわいい動物や花々が施され
幼い皇女たちが淋しくないようにと配慮されてる感じがします。上段の間の襖絵は
特に思考が凝らされています。メインの人形を拝見する度少し感傷的になります。
窮屈な生活に少しでも彩をと、そんなセンチメンタルになる寺院です。b