満天太朗の寺院探訪とコラム

寺院探訪大好きなおっさんです。近畿の寺院や史跡を中心に紹介します。

滋賀県お寺巡り 龍王寺(雪野寺)

滋賀県寺院探訪

龍王寺(雪野寺)

住所 滋賀県蒲生郡竜王町川守41

宗派 天台宗

拝観 400円 ※予約が無難

駐車場 無料

ランク (1.7)(5段階)

🔴龍王寺は、和銅3年(710)行基により雪野寺として創建されたという。

 宝亀8年(777)に小野時兼から寄進された梵鐘は、霊験あらたかで数々の伝承

 が生まれた。寛弘4年(1007)一条天皇から「龍寿鐘殿」の勅額を賜り以後

 龍王寺と改められました。承暦2年(1078)と天安3年(1446)の兵火で

 伽藍は、灰燼に帰し、承応3年(1654)に再建され現在に至る。

 喘息をへちまに封じ込める「へちま加持祈祷」は有名です。

●梵鐘(重文奈良時代

十二神将像(重文鎌倉時代後期 他寺宝多数

龍王寺を訪ねて】

龍王寺には、連絡なしで訪問しましたが、住職の奥様が案内してくれました。奥様は

とてもお話が楽しく、時間の経つのを忘れてしまいました、その内住職が帰ってこられ

十二神将の案内や、元三大師の祈祷札までくださいました。とても心温まる寺でした。

滋賀県お寺巡り 正明寺

滋賀県寺院探訪

法輪山 正明寺

住所 滋賀県蒲生郡日野町松尾560

宗派 黄檗宗

拝観 境内自由 ※本堂拝観 事前連絡

駐車場 無料

ランク ★★(2.3)(5段階)

正明寺・本堂(重文

🔴正明寺は、聖徳太子が創建したと伝えられています。比叡山延暦寺系の地方大寺

 として栄えていたが、戦国期の戦火で一山焦土と化して、粗末な草庵のみが残って

 いました。江戸初期に村人の頓宮右衛門が再興を発願しました、永源寺の助力で

 後水尾天皇の御法援を得て本堂を再建、寛文4年(1664)黄檗宗の僧で龍渓禅師

 を中興の開山に迎えた。また日野の地は、近江商人の本拠地で商人達の帰依も得て

 今日に至ります。

境内には、本堂・禅室・斎堂・開山堂・経蔵などの伽藍が整備されています。

本堂安置・十一面観音菩薩及び両脇侍(重文

滋賀県お寺巡り 甲賀三大仏 檪野寺

滋賀県寺院探訪

福生山 櫟野寺

住所 滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1377

宗派 天台宗

拝観 500円

駐車場 無料

ランク ★★★(3.8)(5段階)

f:id:fukuebu117go:20220415110754j:plain

🔴櫟野寺は、延歴11年(792)比叡山延暦寺の根本中堂の用材を求めて当地を

 訪れた伝教大師最澄が霊木の櫟をみつけ、ここに十一面観音を安置したのが始まり

 とされています。また延暦21年(802)坂上田村麻呂が参詣した後、戦勝した

 事により祈願寺とし七堂伽藍を建立したという。延暦寺の有力末寺であり、甲賀六 

 大寺の筆頭として往時は、広大な寺領と末寺を要していたが、時代とともに衰退し

 今に至ります。当時の面影として多くの平安仏を保有しています。

f:id:fukuebu117go:20220415111857j:plain

本尊・十一面観音坐像(重文)平安初期 312cm

※三十三年に一度の御開帳であったが、春と秋に公開されています。HP参照

f:id:fukuebu117go:20220415114327j:plain

薬師如来坐像重文平安時代 甲賀三大仏 222cm

f:id:fukuebu117go:20220415114651j:plain

毘沙門天立像(重文)伝大同元年(806)163cm

●その他の仏像

聖観音立像(重文)平安初期 170.3cm 美しい像です

地蔵菩薩坐像(重文)文治3年(1189)

●6軀と9軀もまとめて重要文化財平安時代

【櫟野寺を訪ねて】

櫟野の里は、田舎の風景が旅情をさそうのどかな所です。その中にあって圧倒される

仏像には、毎回驚かされます。秘仏本尊の十一面観音や甲賀三大仏の薬師如来の壮大さ

製作途中の仏像・この地が仏像製作地であったのでしょうか?秘仏開帳時以外は静かで

じっくり仏像鑑賞が可能です、私は何度も参拝しましたが飽きる事はありません。

時間が経つと訪れたくなる甲賀の里です。

滋賀県お寺巡り 硬派な仏像 阿弥陀寺

滋賀県寺院探訪

光明山 阿弥陀寺

住所 滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1173

宗派 浄土宗鎮西派

拝観 志納 ※電話連絡・事前予約は受け付けません、住職在住時に限る。

駐車場 無料

ランク ★★(2.5)(5段階)

f:id:fukuebu117go:20220410160828j:plain

阿弥陀如来坐像(重文平安時代

🔴阿弥陀寺は、大同元年(806)に櫟野寺七支坊の一つとして建立されました。

 永禄年間(1558~70)の兵火により焼失、慶長14年に道松上人により再興

 天台宗より浄土宗に改宗しました。明治に安国寺と併合し現在に至る。

f:id:fukuebu117go:20220410193108j:plain

誕生釈迦仏立像・白鳳時代

※寺宝に、聖観音菩薩(重文薬師如来像いずれも平安時代

阿弥陀寺を訪ねて】

阿弥陀寺へは、飛び込みで訪問しました。運よくご住職がおられ一時間程おしゃべりを

大変愉快で楽しいひと時でした。私の住む町によく技術者として出張したそうです。

さて阿弥陀如来坐像は、厳しい表情と御槙を炊いた煤で、黒光りしていっそう表情が

険しく見えます。こんな秀作と出会えるとは考えてなかったので感動しました。

電話での予約は受けなく、あくまで住職在中に運が良ければ参拝ご拝顔できます。

滋賀県寺お寺巡り 甲賀三大仏 十楽寺

滋賀県寺院探訪

清浄山 十楽寺

住所 滋賀県甲賀市土山町山中351

宗派 浄土宗

拝観 500円

駐車場 無料

ランク ★★(2.3)(5段階)

f:id:fukuebu117go:20220409103846j:plain

阿弥陀如来坐像・室町時代末期 甲賀三大仏(278㎝)

🔴十楽寺は、文明18年(1486)に天台寺院として建立されるも、天正6年

 (1578)に兵火により焼失した。その後寛文年間(1661~)に広誉可厭

 により再興され、浄土宗総本山知恩院の末寺として今日に至ります。

 甲賀三大仏の一つ阿弥陀如来や本堂内の諸仏は、近隣の寺などから委託されたと

 考えられている。

f:id:fukuebu117go:20220409110523j:plain

左から 十一面観音立像(重文平安時代

    千手観音立像・鎌倉時代

    摩耶夫人像(重文室町時代 お釈迦様がお顔を出してる珍しい像

※他に阿弥陀如来坐像(重文)など諸仏が安置されています。

十楽寺を訪ねて】

甲賀三大仏の一つである十楽寺は、バイパスの脇に突如あらわれます。寺名の十楽とは

浄土往生の十種の楽しみからなを得ています、私は信仰心は無いが言霊は理解できます

パンフレットに「往生要集」の十楽が書かれています。

ここの仏像は見ごたえのある仏様だらけで、是非ご参拝をお勧めします。住職や奥様が

丁寧に説明していただけます。御多分に漏れず参拝者も少ないので、有意義な時間が

過ごせます。

滋賀県お寺巡り 甲賀三大仏 大池寺

滋賀県寺院探訪

龍護山 大池寺

住所 滋賀県甲賀市水口町名坂1168

宗派 臨済宗妙心寺派

拝観 500円

駐車場 無料

ランク ★★★(2.8)(5段階)

f:id:fukuebu117go:20220407180424j:plain

🔴大池寺は、天平時代に行基が建立した、青蓮寺・天台宗が前身です。戦国期に

 織田信長と六角承禎の合戦により、伽藍を焼失した。寛文7年(1667)に

 妙心寺の丈巌慈航が当地を訪れ、惨状を目の当りにして再興を決意する。

 そして後水尾天皇・伊達宗房・織田正信らが多くの浄財を寄進した。中でも織田正信

 は多くの助力をし、青蓮寺を大池寺と改名し開基となりました。昭和の初めも無住の

 時期があり本堂以外、惨憺たる状況であったが復興し現在に至ります。

 尚、甲賀三大仏の一つとして観光にも力を注いでいます。

f:id:fukuebu117go:20220407185053j:plain

釈迦如来坐像・平安時代後期の丈六仏です、甲賀三大仏の一つでもあります。

f:id:fukuebu117go:20220407185334j:plain

蓬莱庭園・小堀遠州

●蓬莱庭園は、刈込を主体とした枯山水で、中央の刈込は宝船に七福神が大海を渡る

様子を表現しています。岡山県高梁市の頼久寺庭園と似た遠州作品です。

f:id:fukuebu117go:20220407185722j:plain

f:id:fukuebu117go:20220407185847j:plain

亀も泳いでます。

【大池寺を訪ねて】

この寺の見所は、蓬莱庭園と甲賀三大仏です。特に庭園は3つに分かれており主庭以外も遠州の作庭を昭和時代に改修したもので、心癒されます。参拝者も少なくじっくり拝観でき、住職の対応も非常にいいです。また3mの仏像(釈迦如来)を撮影できるのもうれしいです。寺の周りは地元民の憩いの公園になっています。

滋賀県 お寺巡り 西應寺庭園

滋賀県寺院探訪

功徳円満山 西應寺

住所 滋賀県湖南市菩提寺1677

拝観 500円

宗派 浄土真宗大谷派

駐車場 無料 6台

ランク ★(1.5)(5段階)

f:id:fukuebu117go:20220405121906j:plain

🔴西應寺は、今から約1200年前に奈良興福寺の別院として、聖武天皇の勅願により

 良弁僧正が開いた、少菩提院の支院の一つ禅祥坊が前身にあたります。

 少菩提院は、山上山麓に伽藍と7つの神社・三十六坊を構え大いに栄え偉容を誇るが

 元亀2年(1571)全山兵火により焼失し、その後永正17年(1520)に

 西應寺として再建され今日に至ります。この寺は庭園が有名で、「鈍穴流」と呼ばれ

 石組に巨石や独特の配置の枯山水を築庭しています。

f:id:fukuebu117go:20220405123236j:plain